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■Death with dignity 

独立行政法人大学入試センターの奴等に一言


しっかりやれ



最近また、うちのバカなクソジジイのせいで色々面倒なことになっていて、
頭にきて願書やら全部破り捨てて、参考書や赤本の類も全て捨てるためにひもで縛ったところで、昨日も家出して帰らなかったもんで
あまり更新する気にはなれない

まーどうなるのかなという感じではある。いつ出願締切だかも忘れた
外にいて、ワンセグでテレ東の番組欄みたら「電撃移籍でガンバリまゆゆ」とか書いてあって少し和んだ。

まー状況が改善するまでは勉強もしないし、セン利受かってても蹴っ飛ばしてもう家出るつもりだから
東北、早稲田、明治志望の人はイスがいっこ空いてよかったね
ともかく落ち着いて3/23~25のスーパーアリーナ、それに続く47都道府県ツアーに参加出来るといいなあ
なっつみぃが出る公演は、北海道でも沖縄でも当たれば行くつもり。ご当地グルメでも食いながら遅れてきた卒業旅行って感じで。


お金がないので、400枚くらいあるなっつみぃの写真のうち15枚ほど手放してしまった。1つ1000くらいになった。惜しいことをした。

家出している道中、2つ隣に住んでいるおっちゃんが亡くなったことを知った
小さい頃、挨拶をするといつもお菓子やポケットピカチュウをくれたのだけど、最近は近所トラブルですっかり疲れていたようで、
家のポストが壊れて外れかかっていたり、何か嫌な暗示のように思っていたが。。。
年齢は俺のじいちゃんよりも若かった。

死は、人が語るあらゆる事物の中で唯一、確実に実体験を伴わないものであるが、
俺がこの一年間、布団の中で考え続けたその世界はどんなものであるだろうか。

俺が至った結論は、死後はまるで夢を見ているかのように、様々な場面を見るのではないか、ということ
ある時は家の前の通りや、またある時は母校や、田舎の田園風景、海岸線や、そんな世界を、記憶の中の人々が登場したりしながら過ごすのではないかと思うが、
脳が機能停止している時点でこの仮説は矛盾をはらんでいる。

「無」という状態は、今「有」る俺には想定できない前提である。

あのおっちゃんが、近所の煩わしい連中から離れて、やっと旨い煙草を吸えていることを願う。

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